「米を持ち帰るぞ!」
 そんな宣言をした後、意気揚々とズラ子が店を出ていったのは半刻程前のこと。
『かぶき町・秋の大花火大会』に便乗して催されている商店会の祭りは、予想以上に盛り上がっているようだ。特に、豪華景品が当たるという大抽選会への注目度は高く、準備した補助券の枚数が足りなくなりそうだと、スナックお頭裸の常連でもある商店会長が上機嫌に話していた。
 その貴重な補助券を十回分もかき集められたのは、ひとえにズラ子の買い物好きの血、そして、商店会内での人気に他ならない。八百屋で、肉屋で、魚屋で。あらゆる店で「補助券一枚オマケしとくよっ」とサービスされていたことを、晋助は知っている(ついでに、お頭裸に来た客からも「いらないならくれ」とせびり貰っていたことも知っている)。
 そこまでしてズラ子がくじに執着したのは、当然ワケがある。
「一等の特選米セット、あれはいいな!」
 祭りのチラシに目を輝かせるズラ子に、晋助は苦笑した。
「米なんざ、いくらでも買ってやるンだがなァ?」
「ただの米ではないぞ? ダイヤモンド褒賞受賞農家のコシヒカリセットだ。そうそう手には入らん」
「それって何か凄いのか?」
「とってもすごいのだ!」
 拳をつくって力説されても、晋助には「そうかィ」以外の返事はできない。というか、普通の女なら、ダイヤなんたらの米よりも本物のダイヤのほうがもらって嬉しいのではないだろうか。もっともズラ子は女でもないが。
 偏食家……というより「ズラ子の作ったメシしか食いたくねェ」というこの面倒な男は、それほど食材の生産地やブランドには頓着していない。美味けりゃいい、ただそれだけだ。もっとも、ズラ子が普段からこうして食材にこだわっているからこそ日々美味い飯を食えるということも、晋助はちゃんと理解している。あれこれ言ったところで結局ズラ子に頭が上がらない理由は、そこが一番かもしれない。
 そんなわけで、特選米セットにすっかり魅せられてしまったズラ子は、ありとあらゆる手を尽くして抽選会の補助券をかき集めた。そして本日、ついに決戦の場へと赴いたというわけだ。さぞや会場は大盛り上がりとなっていることだろう。
「どうせ当たりゃしねェだろうがな」
 デスクの上に足を放り投げ、椅子の背にもたれかかりながら、晋助はククッと苦笑した。あんなものは、どうせほとんどが参加賞なのだ。十個のポケットティッシュを手に、憮然とした表情で帰ってくるズラ子の姿が容易に想像できる。いや、あいつは案外運がいい、もしかしたらひょっこり三等あたりを当ててくるかもしれない。それにしたって、たいした景品ではないと思うが。
 落胆しているだろう恋人をどうやって慰めようか、万斉にそのダイヤなんたらの米でも手配させておくか……、などと考えていたところで、ガラリ、と玄関の戸が開く音がした。
「ただいま……」
「おかえり。首尾はどうだィ?」
「ああ……」
 まだ姿は見えないが、その返答でダイヤなんたらが当たらなかったことは分かる。そこまでは想定内だ。
 だがしかし、気になるのはその声の調子だ。意外にも落ち込んでいる様子には聞こえない。どちらかといえば、気が抜けているような……。
 数秒後、応接間に姿を現したズラ子は、なぜか呆然とした表情を浮かべていた。
「晋助……」
「どうした」
「当たった……」
「は?」
 呆然とした表情のまま、ズラ子が右手を差し出して見せる。
「当たった。特別賞の、バス旅行が」
 差し出された手には、『目録』と書かれた、やけに派手な封筒が掴まれていた。



   *   *   *



 バス旅行は、もともと商店街の有志で予定されていた、会費制のイベントだったそうだ。そこに一名欠員が出て、今更あちこちにキャンセルの手配をするのも面倒だった幹事が、どうせなら賞品にしてしまえと参加権を寄贈してきたらしい。大概適当な商店街である。
「でも、これがなかなかいい企画なのだ」
 普段なら「晋助や店をおいて旅行など」と渋ったであろうズラ子が珍しく乗り気なのを見てもわかるとおり、実際豪華な旅行だった。
 旬のマツタケ御前の昼食に、ブドウ狩りとワイナリー見学。夜はカニ食べ放題バイキングで、温泉旅館に一泊したのちに紅葉狩りと観光市場でのショッピング。正直盛りすぎだが、そこがいいとズラ子は言う。
「米が当たらなかった分、目いっぱい楽しまないと損ではないか」
「でもなァ」
 渋い顔をする晋助に、ズラ子は首を傾げて見せる。
「なんだ晋助。何か不都合でもあるのか?」
「不都合、っつーか……」
「そうそう、今なら追加料金を払えば人数を増やすことは可能だそうだぞ?」
 お前も来るか? と聞かれて、黙って首を横に振る。
 何が悲しくて、商店会のご婦人連中に弄られ続けること間違いなしのバス旅行などに行かねばならないのか。ただでさえ、ズラ子と連れ立って歩こうものなら「あら晋ちゃん、今日も男前ねぇ」「晋助はいつでも男前だぞ?」「あらやだ、あてられちゃったわぁ」あっはっは、などという会話にひたすら耐えなければならないのだ。これが丸二日。耐えられるわけがない。天下の万事屋とはいえ、苦手なものはあるのである。
 しかし、行っておいでと気持ち良く送り出せるほど広い心の持ち主でもないのだ。
「お前、部屋はどーすんだよ」
「まあ、女性部屋であろうな。この商店街で、今更俺を男性扱いしてくれる人間などおらぬ。さすがに着替えの時は外で待たせてもらうことになると思うが」
「風呂は」
「内風呂もあるそうだから心配するな」
「俺の飯は」
 ぷっ、とズラ子が噴出した。晋助がじろりと睨み付ける。
「笑ってンじゃねェよ。真面目に聞いてンだ」
「すまん、茶化すつもりはなかったのだ。しかしお前、昔は一人で暮らしていたのであろう?」
「そんな昔のことは忘れた」
 本当は覚えているが、腹が膨れればいいとばかりに適当なものを食べていた当時の記憶はあまり思い出したくない。ズラ子の手料理しか食べられなくなったのはその反動だろう。
「ちゃんと作っていくから安心しろ」
 そういうと、ズラ子はおもむろに、目の前で胡坐をかいていた晋助の頭を抱き寄せてきた。突然のことに面食らう晋助の頭の上から、優しい声が降ってくる。
「一泊二日。いい子にしていたら、ご褒美をやるぞ」
「ご褒美、ね……」
「そうだ。あんなこともこんなこともしてやる」
 どんなことかまでは聞かずとも、閨でのサービスを暗に臭わせていることに気付けない晋助ではない。よしよしと子供のように頭を撫でながらの発言にしては内容がセクシャルだが、晋助の曲がったつむじを伸ばす効果はある。
「仕方ねェ。留守番なんて依頼は本来、ウチの仕事じゃねェが、今回だけは特別に受けてやンよ」
「ふふ、万事屋が守ってくれるなら安心だな」
「その代わり、報酬はたっぷり弾んでもらうぜ」
 ズラ子の腕の中からするりと抜け出すと、今度は晋助が主導権を握る番だ。どさりと押し倒した着物の合わせを押し開き、現れた肌理の細かな白い肌を強く吸い上げれば、羞恥と期待をはらんだ熱い吐息がズラ子の薄く紅を引いた唇から零れ出る。
「あ……っ、はぁ、ん……っ、ま、だ、ごほうびは……っ」
「これはまた別」
「ずる……っ」
「狡くねェよ。好きだろ? お前さんだって」
 お頭裸の開店時間まではまだ少し時間がある。どうせ祭りに行っている連中が流れてくるのは遅い時間だ、それまではこの美人女将は晋助が独占させてもらうことにする。
 まだ控えめにその存在を主張している胸の突起を、ぴちゃぴちゃと音を立てながら愛撫していると、喘ぐようにズラ子が訴えてきた。
「しん、すけ……っ」
「ん……?」
「ウメ殿のごはんもたのむ……っ」
「……」
 ウメ殿とは、ズラ子が可愛がっている通いネコの名前だ。腹が減るとやってくるこの小さな友人は晋助とも顔馴染みなので、それは別に構わないのであるが。
「今それを言うかね……」
 オプション分は、しっかり報酬に上乗せさせてもらうとして。
 とりあえず今は、これ以上なし崩しに依頼内容の追加をされないよう、甘い吐息に濡れた唇を塞ぐ作業に没頭することにした晋助なのであった。


〜2話に続く〜


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