「けほ、けほっ!」
大晦日だというのに、風邪を引いてしまった。
「晋助っ!大事ないか?」
一つ屋根の下に住んでいる幼馴染兼大家のズラ子が、血相を変えて飛び込んでくる。
「これくらい、どうってことねぇっ!……ごほっ、ごほっ!!」
「咳が出ておるではないか!額も熱い。お前は、幼い頃から身体が弱いのだから、無理は禁物だ!今日は大人しく寝ておれ。万事屋の方々には社長は病欠だと伝えておくから!」
俺を無理矢理布団に押し込み、額に濡れ手拭を置くと、又、慌ただしく出て行ってしまった。
(全く、アイツは昔から世話焼きで心配性だ……)
ふぅ、と溜息を零し、目を閉じた。身体は熱いし頭は痛むが、ズラ子のひんやりとした手の感触が額に残り、手拭いの冷たさも相まって、悪い気分ではなかった。
☆ ☆ ☆
「ん〜っ」
目覚めた時、窓の外は真っ暗になっていた。
「起きたか?気分はどうだ?」
手拭いを姉さんかぶりにしたズラ子が、心配そうに覗き込んでいた。
「んー、悪かねぇ」
「ならよかった。だが無理はするな。まだ熱は下がってないようだぞ」
ひんやりとした手が額に置かれ、手拭いを交換する。
「そういえば、お前の代わりに、万事屋の大掃除を手伝ってきたのだが、武市殿が面白い物を見つけてな」
ズラ子が着物の袷から取り出したのは、一葉の写真だった。
「お、おぃ、それはっ!」
体温が、突然ぎゅんと上昇した気がした。
「武市殿が、社長机の後ろの『狂気』の扁額を掃除していた時に落ちてきたのだ。『この愛らしい幼女は、どなたでしょう?』と鼻の下を伸ばしながら聞かれたぞ」
「……ったく!あのロリコンめが!!」
ズラ子は、クツクツと肩を震わせながら、写真の中の、髪を高く結い上げ若草色の着物を纏った大きな瞳の子供を指差した。大きな三角おにぎりを、隣の小柄で気が強そうな小豆色の羽織の少年に差し出している。
「流石また子殿は、この男の子が、幼き日の晋助とわかったぞ。『晋助様、可愛いっす!』とはしゃいでおった。だが、こちらの子の正体はわからなかったようで、『晋助様の初恋の人っすか?』と聞いてきた。まあ、その通りだがな」
「おぃっ、誰が初恋と言った!?」
「おや?違ったのか?後生大事にあんなところに隠した写真だ。俺はてっきり『初恋の君』かと?」
ズラ子は、顔を真っ赤にして横たわる俺の前で、ひらひらと写真を振ってみせた。
「おい、ズラ子、いい加減、返せっ!けほけほっ!」
「すまぬ、病人を刺激しすぎた。これは返しておく」
そっと写真を枕元に置き、咳き込む背中をさすってくれた。
「落ち着いたか?食欲はあるか?」
「ああ、少しは」
「なら、消化のいいものを作ってきてやろう。大人しく寝ておるのだぞ」
ズラ子の足音が厨のある階下に消える。ほっとして、枕元の二人の子供の写真を手に取った。
(まさか、見つかっちまうとはなぁ……)
それは、故郷の萩の神社の満開の桜の下で花見をした時に撮った、遠き日の俺とズラ子の写真だった。初めて作ったというおにぎりを、無理矢理口の中に押し込まれたことを覚えている。具は俺の好物のツナマヨで、少しぬちゃぬちゃしていたが、なかなかに美味かった。幼馴染と運命的な再会を果たし、万事屋を開業する際に、『これからもずっと一緒にいられるように』との願いを込めて、こっそり扁額の下に忍ばせておいたのだが、まさか見つかってしまうとは!
少々気恥ずかしかったが、甘酸っぱい思い出の写真は捨て難く、今度はそっと枕の下に仕舞った。
☆ ☆ ☆
食欲をそそる出汁の匂いで、再び意識が覚醒した。
「晋助、待たせたな。起きられるか?」
「ああ」
優しく抱き起こされる。盆の上には、小さな土鍋がふたつ。
「火傷しないように気をつけろ」
ズラ子がエリーの形の鍋つかみで蓋を開けると、ほわほわと湯気を立てて、鍋焼きうどんが現れた。葱に人参、大根、蒲鉾、とろとろの月見卵。
「美味そう……」
昔から、俺が風邪を引くと、ズラ子はこれを作ってくれた。最初は焦がしてばかりだったが、同居していた祖母に教えを請いながら、徐々に腕を上げていったとか。
「あの写真のようなツナマヨおにぎりが良かったか?だが、風邪にはうどんに限るからな。ふうふうしてやろうか?」
「……子供じゃねぇよ」
甲斐甲斐しく世話を焼かれるのも、嫌いじゃなかった。
ゴーン♪
「除夜の鐘かあ。今年は年越しうどんになってしまったな。いただきます!」
「って!ズラ子、蕎麦じゃなくていいのかよ!」
こいつは無類の蕎麦好きだ。毎年、年越し蕎麦を食うのを何よりの楽しみにしている。今年だって蕎麦打ちまでして、いそいそと準備していたのを知っている。なのに……。
「蕎麦よりうどんの方が消化にいいからな」
風邪を引いた俺に合わせて『年越しうどん』をずるずるとすすっている。
「さ、お前も食って、早く元気になれ。舌、火傷せんように、気をつけろ」
慣れた手つきで小碗に取り分け、ふうふうして渡してくれる。昔から、世話焼きでおせっかいで、母親のような姉のような恋人のような、誰よりも大切な存在。
「美味かった。ごちそうさん」
「完食だな!これできっと良くなる!仕上げのおまじないだ」
全て食べ終えた俺に、満足そうに微笑むと、細い指でクイっと顎を引き寄せ、しっとりとした唇を重ねてきた。
「くっ……!」
口付けしたまま、大きく息を吸い込まれる。
「よしっ!『ウィルス・ミス』、吸引完了だ!」
離れていく唇が切なかったが、頭の痛みも、熱っぽさも、不思議とすうっと消えていった。
幼い頃から、ズラ子は風邪ひとつ引かなかった。俺が風邪を引くと、
「晋助のウィルスを吸い込むのだ!」
と、強引に唇を重ねてきた。すると、何故か翌日には、嘘のように体調が良くなっているのだった。
「よし、あったかくして寝るぞ!」
布団の中に細い身体を滑り込ませると、ぎゅうっと包み込むように、俺を抱きしめてきた。
「今年も楽しかったぞ。来年こそ、風邪引くなよ」
「ククッ……、お前が又、治してくれるんだろ?」
「まぁ…….な」
「来年も、宜しく頼む」
ゴーン♪
新しい年の到来を告げる鐘の音が、一際大きく鳴り響く。
「明けましておめでとう」
「今年も宜しくな」
甘い匂いと優しい温もりに包まれて、ふたりで年を越す幸せ。ズラ子に看病される度に、『風邪を引くのも悪くない』と思ってしまうのだ。
☆ ☆ ☆
その晩は、枕の下に入れた写真の効果もあってか、故郷の満開の桜の下で、ふたりで花見をする初夢を見た。
目覚めれば、風邪はすっかり良くなっていた。
朝日が昇る。
今年は、良い年になるだろう。
(了)